india.2

インド 2.

                                                                                          

  

Solapur

 ソラプール    変哲も無い地方都市。 15/11/2009 

 

ムンバイを避けて南部のゴアへの近道のつもりがトラブルが生じ大失敗だった。アウランガバードでの祭り

デワリフェスティヴァルで商店は全て休業。このためお金をインディアルピーに換えることが出来なかった。

 

バスで ソラプールに着いたけれどやっぱり ルピーを確保できない。バス駅でオートリキシャに事情を話して、換金に協力してくれと頼んだ。 「ただしそれが出来なかった場合は料金を払えないよ」とお互い合意のもと銀行、ATM、ホテルなど45箇所回ったかしら。どうしても換金出来ない。草臥れたところでお互いあきらめました。リキシャマン(名前チャンダラガン車番0236)には気の毒なことをした。 彼はルピーをゲットできなかったけど笑顔で駅まで送ってくれたのが印象的。  

      とぼとぼと通りの牛糞を避けながらキャリーバッグを引きずって、

  最初に換金を相談したShivranjan Lodge に又やってきた。

ここのオーナーは真に親切な人で、外国人で困っているとみたのかチャイとサンドイッチを出してくれて、そのうえ私の相談にもアドヴァイスをくれた。

    「ムンバイなら何とかなるだろう。鉄道で行きなさい、乗ってしまえば何とかなるさ」
    「料金を請求されたら、日本円を出して、これで取ってくれと言えばいいさ。 No Problem!だ」

行程約500km、6時間かかるムンバイ 行きの、一般スリーパー車両に遠慮がちに乗り込んだ。
途中に検札官がやってきた。
後から一人増えて2人がかりの尋問が始まった。隣り合わせの乗客も心配そうに見守ってくれた。

検札官  「運賃を払ってくれ」...                    当方 
    「払えない、ルピー貨幣を持ってない」    
検札官  「英語が話せるのか?」....              当方  
「少しだけだ」
検札官
   「日本大使館に連絡を取れ」.         当方   「日本円でとってくれ、祭りで ルピーに換金出来なかった」
 
大使館云々は聞こえない振りして、日本円を出して再度訴えた。 検札官も根負けして、この席を離れないことでどうやら見逃してくれたらしい。ロッジのマスターのアドバイスどおり作戦は成功したもののインド鉄道に対ししては大きな借りが出来てしまった。

MUMBAI

  ムンバイ  2009年1116

フォート地区、18世紀に英国が砦を築きムンバイの基礎を築いた。アラビア海に面している。
地方都市ソラプールから ムンバイ へ夜中に着いた。

閉まっている換金場所で無理を言ってルピーに換えてもらったが、足元を見られて

通常の7掛けで換えざるを得なかった。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

警戒体制万全のタージマハールホテル  

(2008年テロに遭遇)と インド門

二日目のネグラは有名なこの ホテルではなくて直ぐ裏にある 古い館 Carlton Hotel に決めた。MrUeno の紹介で彼の後の部屋を予約した、私が近くのレストランに入った時に声をかけてくれたほぼ同年輩の人)。ホテルの共同バルコニーで隣部屋の若い女性に挨拶した。ドイツ人でこれから東のコルカタへ行く予定だそうだ。
ぶしつけに年齢を聞いてみた、「いくつに見えますか?」の問いに、私の方からまず20歳から始めて一つずつ増やして
いったのだがなかなか頷かない。

27歳でようやく質問に頷いてくれた。

彼女は、ドイツボン大学の学生で中国語を専攻しているチャーミングな女性だ。 

 

タージマハールホテルの入り口では3~4人の兵士と装甲車を配備して厳戒体制のなかホテルに入ってみた。

荷物検査とボデイチェックを済ませて、泊り客を装ってホールをうろうろして早々に退出した。宿泊料金は思ったより高くない。 近くの旅行社でゴア行きのエヤーチケットと現地ホテルの予約手配をした。 1020日、(空港ヘ)

ここでもタクシーの客引きが激しい。

ターバンを巻いて立派な大将髭をした大柄の、一見年配風の運ちゃんが今にもぶっ壊れそうな車を背に、

私が出かけると見て誘ってきた。 乗車前にムンバイ空港まで 400RP だと言うのを 300 に値引きさせたんだけれど、空港に着いたところでひと悶着あった。

(あらかじめ旅行社からタクシー料金の情報を得ていたのでこっちも強気だ)

以下英語と日本語でのやりとり。

 
大将髭 400 RPよこせ」と真顔で請求してきた。髭が300RPを返してきたので成り行きで受け取った。 
 「なにを言ってるんだ300で,約束したじゃないか! 馬鹿者! 」 最後のはもちろん日本語。
私の思わぬ出方に驚いて諦めたらしく再びお金を受け取った。憎めない髭オヤジだ。

 私のバッグを ヒッパガして、サッサとボロタクシーを捨てて空港建屋へ。

GOA

ゴア  1021

   ゴアの特徴は、その昔ポルトガル艦隊に占領されて、

   一時期植民地として栄えた。今でもヨーロッパ的でキリスト教徒が多い。

   かっては、「黄金のゴア」と呼ばれ東宝貿易の基地として大いに繁栄した。

  アラビア海 アンジュナビーチ で沐浴した。(今までの罪が流されたかしら?)
  別のビーチでは大規模なフリーマーケットで賑わっていた。ここはかってヒッピーたちが始めたマーケットで、

  現在は長期滞在者が不要になった物や骨董品やら商品をムシロに並べている。

 海岸に突然現れた屋台の連なりの様相。23の小物を購って又荷物が増えた。  

 

写真  マーケット(テント)の店員 額の印は既婚者の証 装飾の丑 太鼓と笛による門付け、    

 

 T/Cを換金した際、スタッフが 「若い娘がいるがどうだ」 と誘ってきた。
こんな年寄りを誘ってくるのには驚いた。よほど助平に見られたのか?

 

次の目的地 バンガロール 行きの当日の鉄道チケットが取れなくて、もう1泊する羽目になってしまった。

このため今の高くて気にいらないホテルを民宿に変えた。

ここのママさんのサービス が良くていろいろ気遣ってくれた。

明日は移動日なので、離れた鉄道ヴァスドガマ駅へ、ジープを予約した。
当日、目指す2A車両へは、プラットホームが長くしかも陸橋を渡らなければならない。

このため贅沢にもポーターを雇った。チップは40RP(日本円約80円)でバカ安の感あり。

Bangarapet  バンガラペット

       ゴアから780km、全くの地方都市。  

行く先はベンガルールなのだが旅行社は、マイソール、ベルール へ行くのに最も速いチェンナイエクスプレス のチケットを取ってくれた。それが バンガラペット迄のチケットだった。

本来ここで降りなければ遥か東のチェンナイへ行ってしまうところだった
たまたま、座席に座りっぱなしのため車外へ出て背伸びしつつ、他の乗員にEチケットを見せて尋ねたところ

「ここがそうだ」と確認され慌てて下車した。そしてゴアのマーケットでてに入れたステッキを忘れてしまった。田舎街のバスセンターでは大勢の人がたむろしている。

 

いろんな人に尋ねても話が通じない。そんなときは慌てず冷静にとばかり、髭の手入れも兼ねて近くの床屋に入った。 そこの少し離れた横がゴミ捨て場になっていて、

何気なしに眺めていたら、中年のオバちゃんがその場にズーと突っ立っている。

床屋の椅子に座ってなんとなく眺めていて、彼女が何をしているのか分った。なんと 立ちションだった。

ここでも日本人が珍しいのか、何か尋ねると子供やオヤジなど10人くらいに囲まれる。 その中の学生と思われる若い娘が[サインしてください」と手帳を差し出してきた。

断る理由もなく若干気取りながら彼女の手帳に漢字とローマ字でサインした。ベンガルールへは、結局 鉄道で行くことにした。 

BENGALURU

 ベンガルール 10/24   

  南インドの政治経済の中心地、インドのシリコンバレーと呼ばれ国内五大IT企業が本社を構えている。

  外資系でもインテル、IBM など支社を置いている。標高920m の高原都市。

  KSTDC(カルナータ洲観光開発公団)の近く YMCA に落ち着いた。

  早速翌日の24日、目的地であるマイソール近郊のツアーを申し込んだ。 

                   ①  シュラヴァナベルゴラ                    ジャイナ教の聖地  
       
ハレービード (廃墟の意)      ホイサレーシュワラ寺院        
     ③ ベルール                           チェナケーシャヴァ寺院  
    

 

シュラヴァナベルゴラ、南インド最大のジャイナ教の聖地。

 

 

 

ゴマテイシュワラの像

 

一枚岩からの石像としては世界最大級と言われている。裸はジャイナ教の教え「無所有」を現す。     

 614段の石段を登り詰める。白人の中年オバサンが突然現れた巨大な素っ裸の像を見上げて、 O H !

目を丸くして驚いていた。

 

今日は 次の目的地 コーチン(コチ) への移動日。長距離A/C豪華バス、出発 PM5'00。時間は充分ある。YMCA のホールでは空手教室が開かれており、50人くらいのちびっ子が元気に訓練していた。講師が近くにいたので「黒帯だね」と声を掛けたら 「yea sr !」 と誇らしげに答えた。

バスステーションまで オートリキシャ を拾った。
寄り道をしてバッグを運んでもらったので倍額の200Rp支払った。

運ちゃんは無礼にも私の財布を覗きこんで
   運チャン 「日本はリッチな国だからもっと出せ!」  とヌカシオッタ!
   私   
「そんなこと関係ない!ばか者 これは日本語
彼らにとって金持ちから沢山貰うのが、当たり前で、正当な行為でとおっている。   
そんなことがあって、

広い構内の乗り場を求めて人ごみの中3~4人に尋ねながら無事目指すボルボバス に乗り込んだ。

 

ハレービード (廃墟の意)    ホイサレーシュワラ寺院

ベルール                            チェナケーシャヴァ寺院

Cochin

  コーチン    10/26

   当初はインド支配におけるポルトガルの拠点だったが、のちにゴアへと拠点が移った。

   その後、オランダ、マイソール王国、イギリスなどの支配を受けた。

 バス駅前で早朝に拾ったオートリキシャで宿探しが始まった。

   運ちゃんの進めるホテルを数件回って、最後にホームステイ

 にたどり着いた。聖フランシス協会の近くで落ち着いた静かな民宿だ。

   (HENRI"S ANCHORAGE)ここを基地にして巡回した。

 

 

 

 

マダム.ヘンリーさん

キャリーバッグが一人歩きした。     20091119| R03 インド、ネパール

バンガロールからは深夜バスを利用したが、

翌早朝の3:00 に目的のコーチン のバスステーションで私一人降ろして走り去った。
熟睡のところ突然のことで、バスの荷物収容場所に預けた荷物を忘れてしまった。(貴重品は常に手元にある)
それからが大変、バスの受付で事情を話した。当方はブロークンイングリッシュ、先方は4~5人よってたかってヒンディ語で

ワイワイあーだこーだと検討?してようやく事情を理解したらしくバス会社へ電話連絡してくれた。
キャリーバッグは、バスの終点である数百キロ離れた トリバンドラム まで行ってしまったらしい。

半分は諦めていたのだが、有難いことに宿のマダム.ヘンリーさんが大活躍してくれた。

 

 バス駅と宿は15kmくらい離れておりオートリキシャの手配はもとより、その運転手に事情を話してバッグを戻すようテキパキと指示してくれた。 そのおかげで、18時間ぶりにキャリ-バッグが戻ってきた。 私にとって貴重なトイレットペーパーや土産が一杯つめこんである。 マダムも自分のことのように喜んでくれた。

そして協力してくれたオートリキシャの運転手 rafeek にはチップを弾んだ。
この宿は、ホームステイの看板を掲げておりオートリキシャでホテルを3,4軒回って決めたところで、部屋は他に23あるだけのそれこそ普通の民家と変わらない。 マダムは先生が本業。

2泊して宿を立つ際、マダムから ハッピーバースデイの文句と自身のサインを記したバンブーの栞を記念に頂いた。

そして私のBLOGに彼女の写真を掲載する了解を得た。 

 

[カタカリダンス]

 

 

 

 

 

          インド4大舞踊のひとつで、ケララ地方の伝統芸能。

 しぐさや顔の表情メイクで表現する無言劇。京劇や歌舞伎のルーツとの説もある.

 

 カタカリダンスというのはインドでも最も有名な古典舞踊の

 一つで、踊り手は声を発することなく、パントマイムのように動きと表情だけで全ての

  状況を表します。
 踊りの内容は、神話や昔から伝わる物語など。

 

Kanyakumari

 カニャクマリ(コモリン岬)

 

インド亜大陸の最南端、アラビア海、インド洋、ベンガル湾3つがここで1つになる。 

 1029日  

早朝雨、岬から海を眺望出来るホテルに宿泊したが、

残念サンライズを見られず。

写真は昼からの晴れ間をぬって撮影した。0

 

余話 : 終点の駅(コモリン岬)について下車する際、ムスリムの中年男が寄ってきて私のキャリーバッグを奪って運んであげると言う。そして、

さっさと改札を出たと思ったら近くのホテルのカウンターで話し込んで。

何のことない、彼はカウンターで紹介料を受け取っていたんだ。

 

 

 

 

  

 

 

 

 次の目的地マドライへ行くべく鉄道チケット(5:15pm発)を取得した。 その間、デジカメ撮影とパソコン入力で時間をつぶした。 マドライ行の鉄道は、個室4人ベッドのファーストクラス(注)。

家族と同室になったのだが、その姦しいこと。

夫婦と男児と女の子、おっかさんはギャーギャー、女の子はキンキン。

 

いずこの国も女性はパワーがある。 耳栓をするも効果なし。たまりかねて検札官の部屋に転がり込んだ。 あとの部屋を独占できた家族は大喜びでサヨナラの挨拶。(注)2段×2 のベッドがあり部屋を仕切っている。

私には2Aスリーパーの方がよっぽど快適だ。

 

Madurai

マドライ  20091120   ドラヴィダ文化の中心地、ミナークシー寺院を中心に街が発展してきた。


    
オートリキシャの運ちゃんが宿を23箇所回ってくれたなかの気に行った一箇所に落ち着いた。
    
寺院の塔が見えるホテルに落ち着いて、まずは屋上で乾杯。
      ① ミナークシー寺院  代表的なドラヴィダ様式のヒンドゥ寺院
      ② ティルマライ宮殿  サラセン建築様式の宮殿
      ③ ガーンディ博物館  敷地内にガンディーの墓がある

                               リンガ(〈梵〉liṅga)

 

*リンガ 男根。また、それをかたどった像。陽石。
ヒンズー教で、シバ神の象徴として尊崇される。

 

以前から多神教のインド宗教について興味があった。

仏教として日本へも伝わっていることも理由のひとつだ。
インドの神様は、その数において引けを取らない。一説では数億とも言われている。それぞれの伝説があり、

生まれた風土と歴史があり、民族の興亡がある。
今回のツアーでは世界遺産を回って遺跡、寺院に残されているおびただしい石像やモニュメントを見学できた。

つくづくその古代から中世にわたる信仰パワー(創造力)に圧倒され感激した。

 

バラモン教法典においては、バラモン教徒(シュードラを除く上位3ヴァルナ)が生涯のうちに経るべき段階として、

以下の4段階が設定されている。ヒンドゥ教 がこれを引き継いでいる。
私なりに納得する思想があり、以下に採り上げててみた。

 

1.学生期(梵行期、ブラフマチャルヤ、brahmacarya-
         
師のもとでヴェーぶ時期
学習
2.
家住期(ガールハスティア、gārhasthya-
        
家庭にあって子をもうけ一家の祭式を主宰する時期 
子育て、仕事
3.
林棲期(ヴァーナプラスタ、vānaprastha-
        
森林に隠棲して修行する時期
 遊び(1)

4.
遊行期(サンニャーサ、samnyāsa-
        
一定の住所をもたず乞食遊行する時期
遊び(2)                                   
私を当てはめると、今は第四の「遊行期」だろうか? また「学生期」は、私の信条として終生持ち続けたい。
シク教は、16世紀にインドで始まった宗教。スィク教、スィック教、あるいはシーク教とも呼ぶ。        

 

                                                                                 (Wikipedia

 

ヒンドゥ教同様に輪廻転生を肯定している。 カーストを完全否定しているがこれにはイスラム教の影響もあると考えられている。

 

シク教の主流派ではターバンを巻いてひげをはやしているのはこの宗派
次の5つの事柄を守る。1.長髪、2.ひざの上までのパンツ、3.腕に付ける鉄のブレスレット、4.短刀(現在は短刀を持つことは禁止されている。
ムンバイで利用したタクシーの運ちゃんが シク教と思われる。

 

Chennai

 

 チェンナイ  20091120     

南インド、ベンガル湾を望むインド4大都市の1つ。 1639年イギリスの東インド会社がここに設立された。

11:30am 2
時間遅れでチェンナイ着。ツアーの最終地カンチホテルに落ち着いた。
11
01日に洲政府観光協会(タルミナードツーリズム)のツアーに参加した。
  1、ファイブラタ(5つの石彫り寺院)  
  2、ヴェーダギリーシャワラ寺院 巨大な岩の頂上に築かれていて550段の階段が刻み込まれている。   
  3、海岸寺院  
  4、チダムプラム、ナタラージャ寺院

 

風体はインド人

 

デリーから日本に向けて帰国することになるわけだけれど、

デリーへは、飛行機にするか鉄道にするか、おおいに悩んだ。

結局老人割引がある鉄道で行くことに決めた。 飛行機の約1/10の運賃、但し、デリーまで約2,200kmの行程で時間はあきれるほど掛かる。  チェンナイ発11月2日10:00pm~デリー着4日7:00pm
飛行機は日本、デリー間は往復チケットのため帰国日変更の手続きを済ませた。


さて、出発までの10時間をエアコンの効いたスペンサープラザ(大型ショッピングモール)で過ごすことにした。

ここは300余の店舗が連なっていて、その一つネットカフェにもぐり込んだ。
PC
の日本語入力について、たまたま隣り合わせた日本青年に教えてもらった。 Mr'knd 31歳の好青年だ。彼の宿泊している高級ホテルで
夕食を共にすることになり、ひさし振りの日本語で多いに会話が弾んだ。

彼は、今までに世界各国を訪れている。

中国では取っ組み合いのヤバイ話、スペインでは置き引きにあって間一髪でバッグを取り返したことなど。

私にはニュージーランドを勧めたが、ここは年寄りに向いているかも知れない。
その他政治経済にも立派な見識を持っていて教わることが多い。また私と同じ司馬遼太郎のファンと分かって嬉しくなった。ビールも美味しく、楽しい会話でアット言う間に時間が過ぎた。

 

ホテルの出口では、オートリキシャが20台くらいずらりと客待ちしていて、私が行くチェンナイ駅まで、運ちゃん3,4人を集めて料金のオークションを始めた。最も安いオートリキシャを雇ったまではいいんだが、途中で何度もエンコはするは給油はするはで結構遅れてしまった。
挙句、今まで役に立ってくれた私のキャリーバッグの輪ッパが外れてしまった。

 

鉄道、2A寝台車による23日の長い長い旅が始まった。 

 

New Delhi

 

インドツアー 35  3度目のデリー
TB[0]  CO[0] 
三度目のデリーとシゲタトラヴェル 20091121 ラジェンダ には3度お世話になった。

彼はシゲタトラヴェル のオーナーでもある。
eチケットの帰国日を変えた証明が無ければ空港に入れないとのことで急遽彼に手配を依頼した。
(確かに空港入り口では銃を肩にした兵士がパスポートとフライトチケットを厳しくチェックされた。
昨年のタージマハールホテルがテロの被害に会ったためだ) 今まで中継点だった デリー を改めて見物した。

ラールキラー(レッドフォート赤い砦) 城壁は赤い砂岩で築かれた大規模な砦。 
国立博物館     ガンダーラの仏像、ヒンドゥ寺院の仏像、神像などインダス文明から中世、近代まで豊富に展示している。 カメラ持込にしっかり料金を請求された。入場料もしかり、外国人は割高だ。