Thai Land

    

東南アジアに位置する。(ASEAN)加盟国、通貨はバーツ、首都はバンコク。               

   

 

  Garuda Emblem   国章

2007/03 

 

タイツアーの準備を始めた。初めてのフリーツアーで慎重を期した。
防接種、健康診断は一応クリアーし、航空会社は検討の結果、ANAの格安航空券 eチケット1ヶ月)取得

宿泊はゲストハウスGH、民宿を予定し、

バンコク到着3日間は、現地での情報確認のため宿をネット予約した。

  ツアーの目的、 
1、自身の古稀記念であり    

2、遺跡寺院の観光とデジカメ撮影 
3、木彫り民芸品の収集     

4、トレッキングなど
タイを選んだ理由、 
同じアジア人としての親しみと、国民の 95% が仏教を信仰していることと比較的治安が安定しており

物価も安いことなどで決めた。 また、遺跡、寺院が全国に散らばっていて、しかもバックパッカーとしての

環境が整っており「ビンボーツアー」に相応しいことも理由の一つだ。


 肝心なのは予算、参考のため準備にかかった実費と現地での予想費用を計上した。
1、ANAバンコク「往復eチケット30日FIX」と諸税合計、¥72,820   
2、バックパック(Reebok)¥7,800 
3、トレッキングシューズ(Levis)¥8,980   
4、胃腸薬、石鹸等¥3,691,予防接種¥9,080   
5、ガイドブック¥3,129          以上は実費。    
6、ゲストハウス30泊¥43,200(ホテルに逃げ込む可能性大)  
7、食費概算¥65,000  
8、タイ国内交通費¥20,000  
9、雑費¥30,000、  トータル≒¥265,000 (目標はこれ以下) 

出発は、乾期シーズンに入る11月初旬。 ウオーキングで足を鍛えているけれど、今頃遅いかも。      

        

 

タイは地理的にインドと中国の間に位置することから歴史的にも両国から様々な影響を受けてきた。

 

どんなに小さな村にも必ず寺院があり、黄衣をまとった僧侶をあちこちで見かけることができる。

 

寺院は僧侶が修行する場所、祈りを捧げる場所としてだけでなく、

集会所や学校の役割を果たすなど、人々の生活に密接に関わっている。

 

2007/11/07   出発  Nagoya NaritaBangkok14:3022:50) 
2007/12/06   帰国
BangkokNarita  ⇒ Nagoya (23:5507:35.10:00 11:30)
           宿泊予約: Bangkok [ Cozy Bangkok ] Singlebed : 300B 3days

 

20071108日    centrair ANA 14:20 発 

  

 成田への途上、前途を祝してか雲から顔を出している富士山に会えた。
空港では国際線の出国検査で練り歯磨き を没収された。 挙句のはてバンコク(BKK)スワンハブーム国際空港の到着が

大幅に遅延した。 まア 無事着いたんだから良しとしょう。
空港から市内へは路線バスを利用したが、GHはバス終点駅から離れており、そこから更にタクシーが必要だ。

バスの運チャンと車掌がタクシーの運ちゃんに早代わりし彼の自家用車で送ってもらった。
cozyGH
にたどり着いたのがなんと翌早朝の 3:50。 若い中国系の亭主が出迎えてくれました。草臥れました。 


                                                    路線バス40B、taxi 300B (B=バーツ、タイ通貨、100B=約¥330) 

バンコク市内のcozyGH(民宿)に迷いながらもたどり着いたが、案内されたシングル部屋は居心地よさそう。
トイレ、シャワーは部屋を出て直ぐそばにある。

宿泊費は前払いで7日~9日の3日分(優待2日分の支払い)と保証金100Bで 合計700B (日本円換算約¥2,500 )

腕時計を2時間ズレの現地時刻に合わせ、携帯telの充電を確認。 GHでは私の英語でも何とか通じたのでまずは安心。
日本在住のRISAGHママさんの妹の娘さん)からも、いろんな情報やアドバイスをしてもらった。

朝食のためGH中心に街を徘徊した。 

第一印象は街全体が小汚い感じで路地には、屋台が多い。                                                   
食料や雑貨を並べており、特に離れたところにあるチャイナタウンでは、狭い路地に何百件と犇いていた。

ちょっとした通りでは、食堂、鉄工、衣料、プレス等々隣合わせで店を開いる。

1.5m位の歩道の半分は展示商品に占領されている。 

朝食のため屋台に入ってみた。 現地のビールで消毒しながら野菜炒めに挑戦してみたが、これがまた辛い辛い。
咳き込みながら、そこのオバサンに「アロイアロイ」(うまい)と皮肉を言ったら笑いながら頷いていた。私の初めてのタイ語が通じたようだ。
 
通りではオートバイがどこからワイテくるのか「うじゃうじゃ、うじゃうじゃ」騒音が絶えず道路を渡るのも命がけだ。

そんな環境は1日で慣れたが、これから先何が待っているのか、どうなるのか、若干の不安と楽しみの期待がある。

 

 

 

バンコク鉄道中央駅を基点として利用した。       
(Fua-Lambong) 

 

◆北部のチェンマイ ◆東部のカンボジア ◆南部リゾートのフアヒン

 

 

寺院 ワット・プラケ
入場の際、長ズボンを貸してくれた。膝小僧を出して見物できないためだ。

 

 涅槃寺  RAHCHABURANA. WAT・POH

     
  涅槃仏とは、釈迦が入滅したときの様子を表した仏像で、
  目を開いている場合は最後の説法をしている様子。
  目を閉じている場合は、

  すべてを終えて入滅する様子を表しているといわれている。
  全身は金箔に覆われている。 長さ:46m、 高さ:15m

  

 

 

足裏は、インド・中国の様式で仏教の108の宇宙観が螺鈿細工

であらわされている。


 

 

 

  ワット・アルン 「暁の寺」

 

    三島由紀夫の小説 「暁の寺」の舞台
          ※アルンは暁の意味

 

Cozy GH(ゲストハウス・民宿) で シャワー、さっぱりしたところでチェックアウト。

タイ北部 チェンマイ に行くべく夜行列車を予約した。

 

駅の構内では、相変わらず国王賛歌が続いている。  1800突然、座っている人達が立ち上がった。

一緒に座っていた私も何事かと思わず起立したが、構内正面に掲げた大きな王様の肖像に向かって敬意を表するためだった。 私も神妙に合掌。
広い駅の構内は、待合の椅子が700.800脚並んでいてさまざまな人種でごった返している。

冷房のなか気持ちよさそうに浮浪者も寝そべっている。今夜の宿かも知れない。  

pm.1935
定刻どおりの出発、寝台車はさしずめバックパッカー専用車。 走行の振動がすごい。
上段ベッドのためか上下左右、前後と揺られて、それでも何とか寝たらしい。
夜中に冷房が効きすぎて、貸与の毛布はあるものの毛糸ベストと長袖を着込んだ。
トイレはボットン式で下を見れば、枕木が突っ走っていて出るものも出ない。 勿論、トイレットペーパーはない。

11.11:45pm

予定より2時間余の遅れで、タイ北部のチェンマイに到着した。
客引きのオバちゃんのtuktukに乗せられて GHの PLAZA-INN に着いた。 1350B(¥1260)。

ガイドブックにも載っている宿で、亭主との価格交渉は不発に終わった。

最初オバチャンは300Bと言った筈なのに、仕様が無い初日だからとここに決めた。
この街の印象はバンコクよりよほどど落ち着いていて居心地がよさそう。

すぐ対面にあるプリンスホテルを調べに入った。
若いポーターが片言の日本語でいろいろ親切に教えてくれた。フロントとの交渉で1500Bにしてくれたので、
思い切って宿を変えることにした。

中庭にプールがあったので、栄養過多の白人女性に混じって気持ち良くタイでの初泳ぎを楽しんだ。  

 

チェンマイは落ち着いた街 2007/11/13

チェンマイは落ち着いた街、市街を一回りの予定で颯爽と出かけた。 風が心地よいビン川ほとりの

good-view レストラン で小休止。 この街は寺が多く、さしずめ日本の京都と言ったところ。

古いレンガ造りの仏塔があるお寺の名前を通りすがりの男性に聞いたら「知りません」との答え。

彼は在住3年の日本人だった。

 

別の女性に聞いたところ親切に発音とスペルを教えてくれた。wat-aoumong。

さて、地図と磁石を頼りに明日、明後日の宿泊先を探さなくては。

ガイドブックにある good-willGH を探して部屋を確認したが、これは No Good だ。

本にある Nat GH を探すため テクテクテクテク。 nat に近い、別のGHを発見した。感じのいい処で明日当たってみよう。 奈良から来た、日本人パッカーと情報交換した。

 

 

少し離れたナイトバザールを覗いてみた。

象の木彫り 650Bを300 にして衝動買いした。

半値以下で喜んだけれど、かさばることに気が付かなかった。

 

写真は、ヒンズー教、シヴァ神の息子ガネーシア(ある売店で)

悠然たる態度に感動して思わずパシャリ。

 

 レストランのオーナーは、ドイツ人 2007年11月13日

チェンマイ市街を徘徊

当初定めていた GOOD-WILLGH をキャンセルして、昨日調べた Ratchamankha,Rd 近くの LannaGH に決めた。

1泊250B(¥750)円高のおかげで安くなった。 受付の女性が「私の名前 Bum ボムです」と自己紹介したので、私がすかさず「爆発か?」といったら大笑い。

すぐ近くの ローズレストラン も気に入った。オーナーがドイツ人でドイツビールのハイネケンを飲みすぎたような赤ら顔で、親しげに向こうから話かけてきた。 すぐ日本人と分かったらしい。

 

今日も古寺巡礼だ。Wat‐Chedilurang では、小さな鐘が釣り下がっており、

復興基金に協力し、鐘を叩いて合掌。

(この寺は舌を噛むような名前) 快晴の連続で、日焼けしました。髭も伸びた。人相も一見タイ人風になったのか、白人パッカーからよく道を聞かれる。

 

今日の夕食は、今度はイタリアピザにした。 GH 近くでオーナーがイタリア人、slow-food の釜焼きが自慢だけあって美味しかった。 ピザが大きいので心配してたら 「take-outにしますか?」 と亭主が言ってくれたがchang-draught-Beer によく合って全部平らげた。トータル230b。

 

木工の街、ハンドン

今日は曇り日、割と涼しい。ゲストハウス近くのローズレストランで今後の行動作戦を練る。

市内から16km 南方の HANGTON へ行くことにした。タイミングよく TUK-TUKがやってきた。

往復で400バーツでどうかと吹っかけて来た。ここでは町全体で、家具、木工等の民芸品などを扱っている。

一部では製造もしている。小物を数点買い求めた。(荷物がだんだん増えてきた)

昼食は ノー・スパイスサラダを注文したが、やはり辛くてなじめない。帰りは、MINI・TAXI で40b。

 

 ヒンドウー教は、多神教で多くの動物が神格化されている。

シヴァ神は牛に乗って移動し、

ヴィシュヌ神はガルーダ(金翅鳥)に乗り、

自身を亀,イノシシ、魚に変身する。

これにブラフマー神(梵天)を加えて、三神一体の神様となる。

 写真は、木彫り象

(一本の巨木をくりぬいたもので等身大としては非常に珍しい)。 

 


トレッキングの始まり

 朝9時半の出発だ。
中古三菱のソンテウ(10人乗りの幌付小型トラック) に2時間余り揺られて

チェンマイ北方の山岳地帯に着いた。

グループメンバーは、

白人7人、マレー人1、日本人1、ガイド2人の男女合計11人。 

いきなり  Elephant Riding それぞれ4頭の象に分乗した。架台からマテウ(象の名前)の頭を踏みつけてとび 乗った。あらかじめ買っておいたバナナを象の鼻の孔に突っ込むと、その度大きな耳をパタパタさせて大喜び 

 

 20071117 
朝、我々は山を下る。コペンハーゲン から来た老夫婦が臨時参加した。 全く別のガイドが私を70歳と紹介したが、よほどこの歳が珍しいらしい。 これで オーストラリア人夫婦、若くて図体のでかいオランダ人夫婦とイギリス人夫婦に単身者、人のよさそうなマレー人、そして日本代表の私、多彩なメンバーが揃った。

共通語はやはり英語だ。

9時半集落を出発、下りもなかなか厳しい。
     途中の滝で大休止だ。マレー人はバテたらしい。
     若い白人男女は早速滝壷で水遊びを始めた。
     若い女性の水着姿を眺めるのは楽しいものだ。
     渓流に沿って下ること1時間半、本流の Matan Riverに着いた。 

 

White Water Rafting  

昼食の後、ゴムボートによる「急流下り」簡単な魯の操作や振り落とされないための体勢などの講習を受けて、2艘に分かれて出航だ。 キャプテンは現地人。

先頭の水夫はメンバーのイギリスの人。 
キャプテンの合図で、前に漕げ、逆に漕げ、止まれ、身を伏せてなど流れに合わせて、水を被りながらの必死の

操作がつづき、ボートが1回転はするは岩に乗り上げるはの、スリル満点、恐さ少々の約1時間にわたるエキサイトでした。

 

このあと筏乗り Bamboo Rafting を楽しんで着いたところが Baan Muang Kud の村。 

昼食を終えて、今回のトレッキング は無事終了した。
何かと気づかってくれた陽気なオランダ人若夫婦をはじめ、皆と友達になれた。

別れ際、お互いに撮った写真など送るため Email の交換をした。 49歳のマレー人は気の毒に足を引きずって去って行った。 今夜も Lanna GHの泊まりだ。

 

夕食は、バザールでバナナの葉に包んだ餅米ごはんにスパイスを付けてもらって食したが結構いける。

(5b)翌日、GH にバッグを預けてバスステーションからメーサイに向けて出国。 

ミヤンマー入国

 

 

ミヤンマーへの入国ゲート

 

ミヤンマーに入国してtuktukを雇った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小高い丘の上にある大きな金色の仏塔で、

わずかの賽銭を払って籠の小鳥を開放し、

更に鐘を9回叩いてわが家族の繁栄を祈った。

tuk-tuk のオッサンが盛んに「タイマサ、レデレデ!」と言う。 よくよく聞きなおすと、

タイマッサージとレディ(女性)のことで、当方の NO!との拒絶も何のその、知らぬ顔で怪しげな所へ連れ込んだ。


デブ、ヤセ、チビの異様な風体の女性らしからぬ女性? 3~4人がぞろぞろ出てきた。

オッサンを大声で叱りつけ早々に退散した。

オッサンは日本人と見ると何時も客引きをしているようで、私も助平と思われたようだ。

 

 

 

 Regina Aka Hill Tribe Village
(首輪族など山岳族の観光村)

 

 両手に花かな。

 

タイ・スコタイへバス移動

  

    20071119| R04 タイ、カンボジァ放浪 

 

チェンライのトイレはすさまじい。

トイレットペーパーは勿論なし、手荷物を置く場所も無く扉は錆びついて     

今にも外れそう、にもかかわらず3Bの料金とリュック預かり料金2Bを取られた。

 

帰途となるスコタイへはバス移動になる.。予定していたバス815分発が満員で、

チェンマイで乗り換えの待ち時間を利用してATMで資金を調達。1時半 出発、約5時間の旅だ。

 

バス中で、後ろの席の女学生がきれいな英語で「スコタイでの宿は決まってますか?」
私がガイドブックで調べていたのを、若いタイ女性が見るに見かねて声を掛けてくれたのだ。

 

   
「まだ決めておりません」彼女曰く「私が頼んであげる」と暗いバスステーションでtuktukを頼んでくれた。タイ人は年寄りに親切だ。GHガーデンハウスに落ち着いた。

 

 

遺跡公園、スコタイ タイマサで疲れを癒す 20071121

池のほとりで今までの疲れを癒すため「タイマサ」(マッサージ)を初めて頼んだ。 
オバちゃんに揉まれ,叩かれ、捻られ、踏んづかれ、ひっくり返されて、

公園一帯に響くタイ音楽を聴きながら、気候も良し、今までの疲れが吹っ飛んだ。
タイマサはマサに極楽極楽の1時間コースでした100b。
この後の約5km離れたお寺 chum-wat では、一人旅の若い日本女性に出会った。
ここの仏像を見るためだけにやって来たそうだ。日本女性も強くなったものだ。

 

今日で今回のツアーの約半分が過ぎたが、体調もまアまアだ。旅に慣れてきたと思う。 
  タイ人との会話も
     サワディカー(今日は、今晩は) コップンカー(有り難う)、
     アローイ(美味しい)、       タオラーイ(いくら?)、
     ペーング(高い)、
                ロッノイナ(安くしてよ)など、
これだけ知ってればまず大丈夫だ。

もっとも相手の目を見つめ、感情を込めて発音することが大切でこれは勿論タイに限らない。 
スコタイの tuktuk は怖ろしい。 3輪オートバイで客席が前に付いていて、それでびゅんびゅん飛ばすため、

当方は取っ手に必死になって掴らないと振り落とされそう。  20534

 

 

日本人女性パッカーと出会う     2007/11/22  

今日は、 世界遺産に登録されている アユタヤ への移動日。 8時半のバスで定刻出発。
窓の外では、田園風景が延々と続いている。 田植えを準備している隣で、稲刈りの真っ最中、

その隣は青田と、さしずめ日本の春から実りの秋までが同時現象で窓の外を過ぎていく、不思議な光景ではある。


後部席の若い女性に英語で、「ここはどこですか?」と問いかけたら
なんと 「日本語で大丈夫ですよ」 との答えが返ってきた。 当方はてっきりタイ人と思ったので、丁重に詫びた。
彼女(沖縄県人)も バックパッカーで、ニュージーランド~オーストラリヤ~タイ の北部から来てアユタヤに滞在して、それからバンコク経由韓国へ足を延ばすそうだ。


pm3
00終点だ。  アユタヤ と思って彼女とバスステーションで聞いて見たら、なんと バンコク まで来てしまった。

彼女と別れ、私だけとって返した。  pm500 アユタヤ着 GHtel予約 350b、7798

 

 

タイツアー 19 神戸人とアユタヤ巡り神戸人との出会い    1122日、

アユタヤは比較的静かな街でさしずめ日本の京都といったところ。
遺跡を回るのに Tuktuk を雇った。4時間コースで、言い値 800bを600 に値切った。

おまけに同年くらいのバックパッカー(神戸人)が、GH から出てきて、
「ご一緒させてください」とのこと、、彼がさらに値切ったためか tuktuk のオヤジ(名前をcha)の笑顔が消えた。

神戸人とペアになって費用も半分、我らニコニコ。 以下、神戸人と一緒に巡った

wat-yaichai-mongkon,
wat-phanan-choeng,
elephant-park
wat-mahathat(木の根っこに取り込まれた仏像の頭部で知られている)
wat-lokayasutha (遺跡群の奥に、全長28mの寝仏が横たわっており、 睡蓮の花を奉げ、金箔を仏像の体に貼り付けた)
wat-chaiwattanaram, 
日本人町跡(徳川家康の時代、1610年の頃、23千人の日本人が住んでいたといわれ、

交易に従事したり王宮に仕えていたそうだ、その町の頭領が山田長政で、後に地方長官として仕えた。

今夜のネグラを変えて ホテル ウイアンファ、これも民宿。 「参考」寺などの表記はあえて、現場での表示を用いた。ガイドブックのカタカナ発音では表現し難いため。

アユタヤからバンコクへ   アユタヤバンコク 2007/11/23   
朝、ホテルを出発。


昨日ご一緒した神戸人と アユタヤ鉄道駅 で落ち合う予定。 
渡し船で大きな河を渡って駅に到着した。船賃3bは安い。バンコクに昼頃ついて駅構内で昼食をとった。
タイで最初に世話になった ゲストハウス cozy に再び泊まることにした。 

 

さて、カンボジア の ビザ を取得しなくっちゃー。 ところがガイドブックの大使館の住所を訪ねたら、引っ越した後だった。 近くの郵便局で手持ちの地図に印を付けてもらって、たどり着いた所はカルチャーセンター 。 そこの下手くそな英語を話すネーチャンに調べてもらって、タクシーでやっとこさ目的の場所へ。

 

遺跡を見物するためには、これくらいな苦労はあたりまえと自分自身言い聞かせてようやくビザを取得した。費用1100B
帰りは、アンちゃん運転のオートバイに乗ったが、これがまた、自分の運転テクニックを鼓舞したいのか車の合間を縫って飛ばすは飛ばすは! 当方、彼の腰に必死になってしがみついた。
明日は、駅から列車利用の早立ちだ。国境の アランヤプラテート から カンボジア に行くことにした。
神戸人は軽い熱中症になって私もクリニックに同行した。軽い症状でまずは良かった良かった。

 

2007/11/24 今日は、カンボジアへの移動日。 バンコク、COZYGH5時半に出た。
ファラボーン駅 午前555分発~国境の アランヤプラテート に午前1135分定刻に到着した。 

殺到するtuktukを押しのけて大型ソンテウ(トラックの荷台を改造した30人乗り合いバス)

に飛び乗ったがこれが大正解だった。

ソンテウを降りてイミグレーションセンターに徒歩で向かう途中、若い娘が私に日傘を差しかけて来た。

しばらく一緒したが別れ際にチップをくれと言う。 こんな商売もあるものだと妙に感心した。    

 

カンボジア側の 国境の町ポイペト、現地時間1325分、SiemReap 行きバスの待機時間を利用して近くのインターネットサービス でブログに入力。 今から157km先のシェムリアップ へバスで向かうところ。 出発が遅れて14時45分発、(30人乗りの中古バス) 赤い土埃を巻き上げて未舗装のでこぼこ道を疾走した。 

 

そんな時間ロスと小休止をあわせてアンコールワット近くの SiemReap にたどり着いたのは、

なんと午後8時45分、長い長い道のりでした。